第34回 当たり前の共有

「こんなことはできて当たり前」
物心がついてから現在に至るまで、このように言われたことや誰かに言った事はありませんか?おそらく、1度や2度ではなく皆さん経験あると思います。人は、自分の中で「当たり前」としていることは相手にとっても「当たり前」であることととらえ、自然と相手にそれを求めたり、また、それができないと憤りさえ感じてしまうものです。


では、そもそも「当たり前」とは何なのでしょうか?「当たり前」という言葉をWebで調べてみると、以下のように書かれています。
  語源  『当然(とうぜん)」の当て字「当前」を訓読みにして生まれた語》』
  意味 1.そうあるべきこと。そうすべきこと
      2.普通のこと。ありふれていること。


相手から言われたり言ったりする場合は、1の意味であることが比較的多いでしょう。ですが、「そうすべき」や「そうあるべき」というものは人それぞれ感覚が異なるものだと思います。


例えば「オフィスで人とすれちがった時には、会釈をする」という行為は、今の私にとっては当たり前だと思っているものです。しかし、私自身も社会人一年目のある日、先輩から注意を受け、初めは「どうして見ず知らずの人に頭を下げなければいけないのか?」と疑問に感じていました。ですが、社会という集団の中で生きていくためには人と人との関わりは大切であり、その足がかりとなるのはまずは挨拶からではないかと思うようになり私の中での「社会人として当たり前の行為」となっていきました。「当たり前」と人から言われたところで、どうして「当たり前」であるのか、自分の中で納得しなければ自分にとっての「当たり前」と位置づけられません。つまり、人と会話する上で「当たり前」は他人と感覚を共有し納得する事で、初めて共通して認識される「当たり前」となると思うのです。

そこで、相手に指示をする場合は安易に「当たり前」と口に出さずに、できる限り具体的な指示をしてみてはいかがでしょうか?具体的な指示を出すことで、人それぞれの感覚による相違をなくし、円滑に作業を進めることができます。さらに、そのことが「当たり前」だということも指示をする際に一言付け加えることで、当たり前の感覚を共有する事につなげられます。

また、逆に指示を受ける人は具体的な指示を求めることで、当たり前の感覚を自ら養い、納得し、共有していくように心がけましょう。そうする事で、より確かな共通の「当たり前」が認識されていくはずです。

以上の話を妻にしてみると、家事について1?10まで具体的な指示をいただいてしまいました。。。会社だけではなく、まずは我が家の「当たり前」を共有し、実践していくことが私にとって第一のようです。。。


2005年11月
奥田